志田吉隆さん:山伏として農業をやることで小菅の信仰を守り、その魅力を伝えたい

かつては戸隠や飯綱と並ぶ、北信濃の三大修験場だった飯山市の小菅(こすげ)。この土地に惹かれて山伏の修行を始め、東京から移住。小菅の信仰や歴史を多くの人に体験してほしいという思いを持って、さまざまなアプローチを展開している志田吉隆さんにお話をお伺いしました。

地域おこし協力隊として活動後、働きながら農業を学ぶ

小菅に住んで5年目となる志田さん。移住後に結婚して子供も産まれ、現在10か月の長男と奥様の3人で暮らしています(2021年4月現在)。
移住してから3年間は、飯山市の地域おこし協力隊として農産物や観光のPRをしていました。“飯山市の非公式山伏”として、白装束でほら貝を吹く姿を見たことのある方もいるのではないでしょうか。

生まれ育った東京で飲食店のマネージメントの仕事をしていた志田さんは、東京のレストランで飯山産の食材フェアを実施したり、飯山に東京からシェフを呼んで野外レストランのイベント企画を開催。小菅にある古民家を改修した一棟貸しの宿泊施設「七星庵」の企画にも携わり、現在も運営管理を任されています。

*企画から携わった「七星庵」の前で

協⼒隊を“卒業” して1年以上が経ちますが、そのほとんどがコロナ禍だった期間についてたずねると、市内の農業法⼈で働いていたといいます。「田んぼを集約しての大規模な稲作や、野沢菜、トマトなどの野菜の生産をしていました。大きなトラクターの操作も本格的に身につけることができました。働きながら農業研修していたようなものですね」。
もともと食が好きで飲食店の仕事をしていた志田さんは、農業にも興味があり、すでにそばの栽培も手がけていますが、これからさらに一歩踏み込んで農業をやっていこうとしています。

「実は山伏として小菅という地域に住んでいて、農業をできるようになりたい、そして、いずれは田んぼをやらなくてはいけないと思っていたのです」
それはいったい、どういうことなのでしょうか?

山伏として、小菅の信仰を農業をしながら守っていきたい

「小菅の信仰の歴史は、水に対する感謝と畏怖から始まっています」と志田さん。
「小菅が修験場として確立される以前、自然信仰の時代には、水の分配をつかさどる『水分(みくまり)』の神がまつられていました。現在も小菅山の中腹にある小菅神社奥社の岩窟には、ブナの森に蓄えられた水が最初に溜まる甘露池があります」

山の水が里に降りてくることで、人々や生物がその恩恵を受けることができる。そのことに対するあたりまえの感謝、そして時に起こる水害を鎮めるために、この地に住んでいたはるか昔の人々は水の神様を祀ったのだそうです。

「山の途中で水が滞るとちゃんと水が届かない。農業は古来より神とともにあった。農業をするということは、小菅の信仰の対象である山を、水を守ることだと思うんです。
農業をすることで荒れてしまった池や水路の整備をすることができる。そうやって小菅の信仰、文化を次の世代に伝えていきたい」と熱く語ります。

小菅との偶然の出会いで山伏になった

実は志田さんが山伏になったのは、運命と言ってもいいような偶然が重なった結果でした。
東京の職場でハードに働きながら、農業体験をするために足繁く飯山に通っていたある時、ダブルブッキングが原因で⼩菅の⺠宿に泊まることに。その時にはじめて「修験」という言葉に出会います。その翌週に東京で、偶然にも出羽三山の山伏との会食に誘われました。そして山伏の修行体験へ…。

「家にもなかなか帰れないような厳しい状況で働いてきて、精神力、体力には自信があったのですが、修行で山に入ってなさけないくらいに自然に打ち負かされました」
最初は「くやしい」という思いがありました。
「でも、修行はがんばってやることではないと思ったんです。自然の中に自然な体(てい)で、すっと入れるようになれればいいのではないかと…」

志田さんは仕事を辞めて飯山へ。お世話になった民宿の方が紹介してくれた小菅の一軒家に、今も住んでいます。

*義理の父による版画作品「祈り」。小菅神社奥社へ向かう杉並木にいる山伏姿の志田さんが描かれている

山伏としてのライフワークとビジネス

「本来ここがなぜ聖域だったのかを掘り返す作業をして、太古の人が描いた世界観に近づけていくことで、その魅力を取り戻す手伝いをしたい」と、山伏ならではの視点で小菅を見つめ、自分にとって理想的な生き方に近づいていこうと、やるべきことを一つひとつ実行していく志田さん。
「その中でビジネスになりそうな部分は、協力してくれる企業や団体と一緒にやりながらかたちにしていければ」と考えていますが、過去の経験から、人を巻き込むのは思うほど簡単ではないし、物事はドラスティックには動かない、ということも十分感じています。

そんな志田さんが「これは絶対にあきらめたくない!」と意気込むのは、小菅で栽培されたそばを、⼩菅で⾷べられるようにする地産地消の場づくりです。
「そばの栽培は3年続けていて、今年は集落の人たちとそば畑を拡張する予定。そばの打ち手としては、量よりも質の高い栄養のあるそばを作りたいですね。少しずつ自然農法を試していって、自然をなるべく傷つけない方法で、本来の土の力で栽培してみたい」

*志田さんが小菅で栽培するそば畑

計画通りにはいかないことは承知済み。感じたままに動いて今ここにいる。山伏としてまずはすべてを受け入れる。「『うけたもう』してたらこうなった」と笑う志田さんの今後の展開に注目です。

 

(取材・撮影:佐々木里恵)