生まれ育った木島地区坂井で、「信州の伝統野菜」に認定されている里芋「坂井芋(さかいいも)」を作り始めて8年目。生産者が集う木島里芋研究会で、地元の名前がついた坂井芋を継承していく活動に、熱心に取り組んでいる小林勇希さんにお話をお伺いしました。
江戸時代から栽培されていた坂井芋
現在の坂井芋のルーツは、江戸時代に伊勢参りに行った際に、水に強い作物ということで持ち帰られたとされる里芋。千曲川沿いにある木島地区のなかでも、坂井で作られた里芋がおいしいと評判だったため、坂井の里芋などと呼ばれていたそうです。
昨年は台風19号の影響で、千曲川沿いの畑が浸水してしましたが、無事に坂井芋を収穫することができました。まさに水に強い作物ということを証明してくれた出来事でした。
「坂井芋はやわらかくて粘りがある里芋です。木島里芋研究会が、坂井芋を信州の伝統野菜に申請する際に、木島地区内で作られている里芋を食べ比べたら、場所によってあきらかに違う里芋ができることが分かりました」(小林さん)
そこで研究会は、木島地区の中で、坂井を中心にした多湿で砂まじりの土壌で栽培された里芋を「坂井芋」として申請し、JA(農業協同組合)を通じて出荷しています。
地域の課題に気づき、坂井芋の栽培をはじめた
物流会社を営み、農家とJAの間で、農産物や肥料などの集配作業をしていた小林さんは、地域の畑が荒れてきていることや、農家の人たちの高齢化がどんどん加速していることが気になっていたそうです。
そんな中、他の野菜とは差別化されたプレミア野菜として、坂井芋が東京の市場へ出荷されているの見て興味を持ちました。坂井で生まれ育った小林さんにとっては、坂井芋はごく普通の里芋だったのです。
閑散期の冬の仕事を模索していた小林さんは、地元の名前のついた里芋に魅力を感じ「畑も空いているからやってみるか!」と、まずは小さい面積で栽培をはじめました。
「里芋は植えた後はそんなに手間がかからないので、楽勝かな? と思ったのですが、収穫時に手掘りするのが大変で、えらい目を見ました」と笑います。
とはいえ坂井芋の収穫は、稲刈りの大仕事が終わってから始まるので、タイミングとしてはいいのだそう。10月後半からはじめて11月末まで収穫、さらに収穫した株を崩しながら12月まで出荷していきます。東京方面ではおせち料理に使われることが多いため、12月に価格が上がるそうです。
里芋は子孫繁栄を象徴する縁起が良い野菜。1株で大きな親芋が1つ、子芋がいくつか。そして孫芋がたくさん採れる
仲間と生産量を増やしたい。100年後も坂井芋が作られ続けるために
「伝統野菜のキャンペーンで坂井芋が取り上げられたり、テレビで紹介されたりして、消費者には坂井芋の認知度が上がっていてきていると思います。昨年は、坂井芋のブームがきたかな⁉︎と思いました」と小林さん。
しかし困ったことも。
「農家向けの情報発信が足りていないせいか、一定のエリア外のものが坂井芋として売られているのを見かけたりするようになりました。坂井芋の未来を守るために、商標登録することも検討中です」
生産者の高齢化も気がかりな点です。坂井芋の生産者が集まる、木島里芋研究会の会員は現在約20名。坂井芋の栽培に力を入れている障がい福祉サービス事業所、株式会社フジすまいるファームも参加していますが、大半の生産者は70~90歳代の農家。
いちばんの若手である43歳の小林さんは、里芋を作っている人に、地元の飲み会などでも声をかけたりして、坂井芋を作る仲間作りに励んでいます。
さらに、生産量を増やすことが難しい点がもうひとつ。里芋は連作障害があるので、同じ畑で毎年作り続けられないのです。
小林さんは畑を5分割して、3~4年ごとにローテーションしながら栽培しています。農家同士で、畑の貸し借りをするといったことにも取り組んでいます。
「現在の坂井芋の出荷量は多くなく、東京の市場に出してほとんど終わってしまいます。引き合いがあっても応えられないんです。
もっとたくさん出荷できれば、デパートで売ったりして単価が上げられる。
地域の伝統野菜をここで終わらせてはいけないと思ってます。100年後も作られ続けるにはどうしたらいいかを常に考えています」
農業って楽しいよ、ということを周りに見せたい
実は小林さんの周りには、定年になってから畑で野菜を作りたいという方が結構いるのだとか。
「定年になってからというのは、農業でお金はもらえない、生活はできないと思われているということですよね」
農業に対するそのようなイメージを払拭したいと思っているそうです。
「ただ作るだけではなく、価値を高めて、高い値段で売れるように。がんばればそれなりのものがもらえて、農業はおもしろい、毎日楽しいよ、ということを見せたい。そうすれば、小学校で坂井芋の栽培体験をしている子ども達にも、“将来の夢は農業”って、言ってもらえるのではないかと」
そう語る小林さんには、もうひとつ「見せたいこと」があります。それは、兼業農家ならではのメリットについて。
「気候がこれだけ変動してくると、毎年同じものが採れない。農業はある意味ギャンブルになってしまいます。兼業農家は、農業以外の収入の柱があった上で、いろいろな栽培にチャレンジができるというメリットがあるなと思います」
水には強いけれど、干ばつには弱い坂井芋。もっとも雨が欲しい8月の1か月間に、今年はほとんど降雨がありませんでした。そこで液肥を葉から吸わせるといった、大胆な試みをしてみたそうです。
「兼業農家って、昔は専業農家より下に見られることがあったんですよね。片手間でやっているんだろ? って。兼業農家でも問題なくやっている。逆に兼業だからいろいろできるということも、周りにしっかり見せたいと思っています」
自ら行動し、農業のイメージを変えていくことで、伝統野菜を100年後につないでいこうとしている小林さん。お話を聞き終え、勇希というお名前を頼もしく感じました。
(取材・撮影:佐々木里恵)