当たり前に身近にあった伝統技を、ビジネスとして次に残す
飯山市の伝統工芸品、内山紙。職人の手で作り出される1枚の和紙には、江戸時代から続く技と文化が詰まっています。もともとは障子紙として流通した内山紙。現代の生活様式への変化とともに需要も変わり、現役の伝統工芸士はたった2人となりました。今回はその1人で阿部製紙の3代目、阿部拓也さんにお話をお伺いしました。
3代目としての自覚
3人兄妹の長男。小学生の頃は、同級生と近所を走り回って遊んでいたという阿部さん。
「いずれ家業を継ぐんだろうなあとは、小学校のうちからぼんやり考えていました。仕事場が遊び場だったこともあって、製品のちょっとした梱包を手伝ったりもしていましたね」。
紙すきの風景はずっと日常の1つだったこともあり、特段嫌だとか好きだとかを考えることもなかったそう。
「高校を出ると同時に継ぐことを決め、東京のビジネス専門学校へ進学しました。貿易英語やホスピタリティ関係、簿記にパソコン。いろんな勉強をしましたが、今1番思うことは、“経営は現場にいた方が身になる”ということ。実践しながら身につけていったことの方が多いです」。
卒業時には別の就職先を考えたこともあったといいますが、技の取得に加え、伝統工芸士の資格取得には、最低でも現地での経験が12年以上必要になります。時間のかかる伝統工芸の世界。紙すきの技術を学ぶなら急いだ方がいい、そう考え、飯山に戻ってきました。
紙すきの面白さは無心になれること
戻ってからはずっと、機械の紙漉きを担当。楮(コウゾ)を中心に3種類の原料を使い、再生紙も含めて年間で10種類ほどの紙を漉いています。
「朝からボイラーを温めて、機械を動かしながら原材料の補充。様子を見ながら次の用意をして、合間に事務やちょっとした配達、メールのチェックなど細かな作業を済ませます。機械を動かしている間はあまり離れられないので、昼食休憩はパパッと10分くらい。その他の空いた時間で、自分の好きな作品を作っています」。
紙すきの魅力は、無心で打ち込める瞬間と納得がいくものができた時だと阿部さんはいいます。
「年に何回もあるものじゃないんですが、仕事関係なく、素直に楽しいと思える瞬間があるんです。好きなものを作っているときは開発段階が一番ですね。キーケースやスマホケース、クラッチバッグやハタキ。いろいろ作ってきましたが、まだ形にしていないアイディアもいくつか温めていますよ」。
飯山の地で作るからこそ“内山紙”になる
阿部さんが作る内山紙は、当初、畑仕事ができない冬季の農家の収入源となる仕事としてこの地に根付きました。田畑の横で原料となる楮(コウゾ)を栽培し、降り積もった雪を使って漂白をする、地の利を生かした産業です。
「工芸品はその地で作るからこそ価値があります。飯山で覚えてもこの場所を離れて漉いた紙は内山紙とは呼びませんから、ここで守っていく産業でもあります。飯山も、自分が子どもの頃に比べれば人が減り、後継者など考えていかなければならないことはありますが、場所を移したり、手広くしたりすればいいというものではないんです」。
今一番の課題は、昔と同じに商品を提供できないこと。
「頂くお話の中で、こう言ったものがほしい、というニーズに応えられないことも結構あります。まず、機械を動かすとなるとそれなりのロット数が必要になるので、小規模なものは厳しい。かと言って、人手が少ないこともあって、大規模なものは技術的に難しい場合もあるんです。なかなか実現はしませんが、長い目で見て、できるものであれば徐々に一緒に考えて行きたいと思っています」と、胸の内を明かしてくださいました。
使ってもらって価値になり技が残る
人手と生産数がネックではありますが、最近では、様々な仕事を通じて全国に伝統工芸仲間が増えています。コラボ商品で素材を提供するなど、徐々に話は膨らみ、将来に向けて楽しそうな様子も伺えました。
「大変なのは、伝統を残しながら時代にあったもの、今の生活に合ったものを作っていかなくてはいけないことですね。基本は伝統ありきなんです。でも、自分が紙を作り続けるためには、紙を知ってもらうきっかけが必要。可能性の提案、というか。使ってもらえることで価値が広がってくると、自分は紙づくりに専念できるので、それが1番の理想ですね」。
また、「1枚の紙である以上、コピー用紙も和紙も価値は変わらない」と、阿部さんは言います。
「落書き帳に子どもが絵を描くように、もっと和紙も身近なものにしてほしいなと思います。うちは紙を使ってもらわないと商売にならない。使ってもらうことで、伝統の技を残したい。そこを忘れず、これからも新しいことに挑戦し続けます」。
最後に、「最近はこんなのもあるんです」と和紙でできたデフューザーを紹介してくださった阿部さん。形を変えても伝わるあたたかさと、人を通じて新たに生まれる価値に、ワクワクした瞬間でした。