水野尚哉さん

飯山の風土が培ってきた食、これからのライフスタイルはここに

「自他ともに認める甘えん坊な末っ子。仲間からはアツすぎるって、よく言われます」。

2015年、米作りに取り組みはじめてわずか3年で、世界最高米を作り上げた水野さん。飯山市で生まれ育ち、今も飯山から“食”を通じた発信を世界に向けて続ける彼に、飯山の魅力やその原動力を聞きました。

海外に憧れた赤髪時代

実家は飯山市、戸狩温泉スキー場の麓。民宿を営む両親を見ながら大きくなった水野さん。小さい頃から家族に囲まれ、飯山が大好きだった様子が伺えます。

「うちの食卓は厨房の銀テーブル。お客さんの食事出しが終わって、“さあ、夕飯食べちゃって!”みたいな。家族と食べる母ちゃんの料理が美味しくて、今思えばその頃から“食”は自分の中で大切なものでしたね。そんな環境も好きで、いずれは実家の民宿を継ぎたいとも思っていました。」

小学生の頃の習い事は、姉と一緒にピアノ。スキーや陸上、剣道にも打ち込み、中学1年生ではアルペン競技で学年トップを取った経験もあったとか。

「何にでもチャレンジしたいタイプです。スキー競技は将来有望!とも言われていたんですが、中1で早々にグレちゃって。ノリで髪を赤くしたりして。高校は、バンド組んでバイク乗って、道のど真ん中に寝転んで仲間と星見るような日々でした。いい環境だなっていうのは、きっと当時から肌で感じていましたね。バイブルでもある高橋歩さんの本に出会ったのもこの頃です。“人生もっと自由でいい”って思えたのが大きくて、読んでいなかったら今はないかもと思うくらいです。自分はまだまだ井の中の蛙だなと、世界に目を向けるきっかけにもなりました」。

海外進学もよぎったものの、選んだのは地元の調理専門学校。「漠然と調理師免許はあったほうが良さそうだ、と思って。2年間通って学んでわかったことは結局、“料理は作るより食べる方が好き”ってことでしたけど」と、笑う水野さん。専門学校卒業後、飯山市で農業の道を歩み始めます。

「初めは兄が働いていた農場で。高校の頃からアルバイトをしていた縁もあって就農はすんなり決まりました。その時は野菜がメイン。やりがいを感じて働きながらも、なんとなく“自分はもっと輝ける場所がある”そんな思いが膨らんで、2年。転職した先で出会ったのが米作りです」。

きっかけは両親、そしてじいちゃん

転職先は飯山市内でもかなり大きな農業法人。そこで水野さんは、米作りの基本のきを学んだと言います。「作物を作るのに水田を用いるのって、米くらいなんです。日本古来から作られるお米は農法も種類も様々。そういうことを1つ1つ、現場で知っていきました」。

とにかく気になったことはやってみたいという水野さん。

「学ぶうちに出てきた疑問を自分で試してみたくなりました。“無農薬って何がいいの?”とか“方法が違うと何が違うの?”とか。そんな時、実家にも田んぼがあることを思い出したんです」。

水野さんのおじいさんが大切に守ってきた2枚の田んぼ。ちょうどおじいさんが高齢になってきたこともあり、受け継いで思考錯誤の米作りが始まりました。

「ワクワクと共に大きな転機があったのもこの頃です。両親が揃って病気になってしまって。これだけ色々な特別栽培方法があるんだから、より健康になれる米もあるんじゃないかと思って色んな方法を試しました。ピロール農法と出会ったのはその最中。簡単にいうとバクテリアによる強い土台作りを核とした農法です。1番のポイントは体に必要な弱アルカリ性の作物が育つこと。専門学校時代に学んだ栄養学の知識とリンクして、これだ!と思いました」。

日本ではあまり馴染みのないピロール農法。怪しまれたり心配されたり、時にはやっかみを受けたりしながらも挑戦してきた裏側には、“家族に健康で笑っていてほしい”という、水野さんの純朴で強い思いがあります。

「農のテーマは、はじめた頃から今も変わらず“家族の健康”。ここはブレません」。

世界最高米に選ばれて見えた景色

実験は順調で、取れ高も想像以上の2年が過ぎ、思い切って無農薬・無肥料・追肥もなしで取り組んだ3年目の米作り。水野さんの大きな挑戦の年でした。

「周囲から無謀だよって声もあったりして、本当にこれでいいのかと思いながらの1年でした。でも、すごくいい米ができたんです。無農薬の米は穂先がピンクなんですよね。頬を染めた女の子みたいで、お嫁に出したくないほど可愛くて。取れる量もちょうど1反歩8俵くらい。栄養価も高い数値を叩き出していて。これが有名になったきっかけ、世界最高米に選ばれた米です」。

“選ばれました”の連絡は電話1本。

「動くときは静かなんだなと思いました。“間違いじゃないの?”が、正直な感想。実感は後からついてきましたね」と、当時を振り返る水野さん。

「もちろん嬉しいんですが、世界コンクールとか表彰式とかっていうのは所謂“お楽しみ”なんです。仲間と盛り上がって、シェアして、ワイワイして。これがあるから頑張れるっていうやりがいは、もっと別のところにあったりします」。

そういって見せてくださったのは、飯山に来て水野さんのお米を食べてくれた小学生の子からの“ありがとう・おめでとうの手紙”。

「大切な人に食べてもらう大切な米。生産者が与えているようで、食を通じてお客様からもらうものは本当に大きいです。自然相手だと気持ちが弱くなることもあるけれど、こうした1つ1つの思いが支えてくれる。半端なことはできないなと自分を奮い立たせてくれます」。

プライベートでは2016年に結婚。お子さんが生まれて自分の家族ができ、一緒に地域づくりに関わる仲間も増えたことで、オフする時間が生まれたという水野さん。

そういう小さな1つ1つが大切なものだと気付いた、と話してくださいました。

“妄想族”、だから生まれるアイディアは無限

「もっと自由に、楽しいライフスタイルをここで一緒に作ろう!って、言いたいです。それができるのが飯山の魅力。この景観、山と雪が育んでくれる美味しい水。例えば、明日誰か来たいといっても、仕事があって住む場所がある。キーマンは増えていくと思います。ずっとみんなが描いてきた未来が、そろそろ形になるんじゃないかな、って」。

必要なのは、同じ志を持った仲間だと水野さんは考えます。

「今はまだ、言ってしまえば自己満足。自分にできることは食なので、それを中心に地域を展開していきたいんです。カフェや民宿、ゲストハウス、農に特化したアパレル。ガチな農業、サービスじゃない体験提供も、ここならできることだと思います。とはいえ自分の体は1つしかない。だからRPGみたいに色んな人を巻き込んで、豊かな飯山市を残し楽しんでいきたいですね」。

“自分がチャレンジすることで周りの勇気は作られる”そう信じて、水野さんの挑戦はまだまだ続きます。