木内晴基さん

よそ者視点で見る地元飯山には、まだ頑張る余地がある

40年ほど続く“ひぐらし農場”の後継者としてUターンをし、農業を始めた木内さん。2018年8月まではテニスコーチとして、各地を転々とし、農から離れた生活を送っていました。飯山市に戻ってきたきっかけは、家族、子育て、そして木内さん自身の今後を考えてのことだと言います。「そろそろ定住の地を決めようと思った」と、話す木内さんに、今後の農に対する思いや発展の可能性をお伺いしました。

Uターンを決意した3つのきっかけ

小さい頃から、お手伝いで畑に出ていた木内さん。小学生の時には「農業に携わろう」という思いを、漠然と持っていたそうです。

高校は、地元の下高井農林高等学校の流通経済コースに進学。栽培そのものからは少し離れ、経営やコンピューターについて学んできました。もともとコンピューターに興味があったという木内さんは、短大に進学後も経営情報の学びを深めます。

「頭のどこかに、“いつかは戻って農業を”という思いはずっとありましたが、父が“好きなことをしていいよ”と言ってくれていたこともあり、短大を出たあとは全くちがう業種で就職。様々な経験をさせてもらいました」。

テニスを教えながら各地を転々とする中で、プライベートでは結婚、出産を経て子育てが始まりました。「35歳という自分の年齢と、保育園や小学校といった子ども達の今後を考えた時に、そろそろ飯山に戻って定住地を決めたい、自然とそう考えるようになりました」と、ご自身のターニングポイントを振り返ります。

また、ひぐらし農場は、主にお父さんとお母さん、妹さんの3人で経営をしていました。そろそろ腰が痛かったり、体調に不安を感じていたりといった家族の声を聞いているうち、「元気なうちにサポートに入り、一緒に畑に立って学んでいきたい」という思いも強くなったと言います。「やってきた機会を良いものしていくのは自分自身」。3つの状況が重なった時、長く続けていたテニスコーチをやめる決心が固まりました。

ひぐらし農場の今とこれから

ハウス栽培、平地の畑と山の畑、全部合わせて4.5ヘクタールの農地を有する農園では、およそ20種類の野菜栽培と、ハーブ、そして農業体験を実施しています。品種を絞った栽培をしないのは、リスクを分散し安定した収入を確保する工夫です。また、農地同士の高低差を生かし、ほぼ年間通して何かしらの野菜を収穫できる強みも持っているひぐらし農場。出荷先もスーパーや道の駅など、1箇所に頼らない形を作って安定化を図っています。

木内さん自身は、自分が継いだ後に、ここまでできるのだろうかという思いとともに、もっと価格以外で勝負できるポイントがあるはずだと考えます。今はまず、地域の現状の把握と分析をしている真っ只中。自身の学んできた流通経済の視点から、本来の価値をしっかりと見出し、一生懸命作った野菜をしっかり流通させていきたいと、今後の抱負を語ってくださいました。

田舎だからこそのライフワークバランス

生活の安定も、Uターンのきっかけだった木内さん一家。「ここで生活をしていけるのだろうか」という思いは、もちろんありました。しかし、隣で「大丈夫かな?」と、心配してくれる家族がいたからこそ、逆になんとかしなければ、と、自分を奮い立たせることができたと言います。

また、飯山市の親元就農支援金制度や、Iターン・Uターン向けの雇用促進住宅の利用など、就農して帰ってきやすい環境も木内さんの挑戦を後押ししてくれました。

実家が近くなった安心感や、子どもたちと過ごす時間が増えたこと、木内さんの口から語られる暮らしの風景は、都会での生活とはまた違った、温かな充実感を垣間見ることができました。今では地元のテニスサークルにも顔を出しているという木内さん。今後、お祭りの係や消防の活動、北信農業道場といった学びの場で、地域の人と積極的に関わっていきたいと考えているそうです。

農業から地域を変える

高齢化や人口減少が深刻化している飯山市に対し、「市そのものの存続も危ないのでは」という不安は拭いきれません。しかし、まだ頑張れる余地がある、と木内さんは考えています。

 

「自分が農業を頑張っていく中で、もっと“農”という仕事自体にもフォーカスされるような動きが出てくるといいと感じます。しがらみや稼げないといったイメージを払拭し、農をやりたいという人が出てくれば、人口の流出を減らしたり、地域を盛り上げたりといったことにつながってくるはずなんです」。

空いてきている農地や家、設備をうまく活用し、周辺地域との連携も強めていく。農という視点から周囲を考え、飯山地域を動かそうという木内さんの挑戦は、まだ今、始まったばかりです。